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1997年2月23日 愛知・名古屋市体育館
広田・加藤天がOZ入り志願
 メインで長与と尾崎が激突し、尾崎が完勝。試合後、勢力拡大を呼びかける尾崎に呼応し、新人の広田と加藤天が共に地元・名古屋でOZ入り志願。


1997年4月4日 アメリカ・ロアノーク(WCW)
植松がWCWクルーザー級王座獲得
 WCWに遠征した植松が、WCW世界女子クルーザー級初代王座決定トーナメントに参戦。決勝でマリア・ホサカに勝利してベルトを獲得し、4月21日大阪大会に初代王者として凱旋帰国。


1997年4月29日 東京・後楽園ホール
ZERO、国内初登場
 旗揚げ2周年記念大会のメイン(北斗&松本vs尾崎&永島)終了後、長与の化身・ZEROがマネージャー・ZERAと共に国内初登場。尾崎にバックドロップを見舞い、無言で姿を消す。


1997年5月18日 東京・八王子マルチパーパスプラザ
GAEA-改ルールスタート
黒のスパッツの上下とレガースに身を包み、ギブアップ・KOにより勝敗を決する限定ルール“GAEA-改”が試験的にスタート。里村、加藤、シュガー、植松、中野、沼尾、加藤天、KAORU、山田が同ルールで数戦を行なう。


1997年7月3日
山田敏代、GAEAへ円満移籍
 全日本女子プロレス所属の山田敏代が、両団体フロント同席の元、GAEAへの円満移籍を発表。同21日後楽園大会よりGAEA所属としてファイト。KAORUとGAEA-改ルールで戦い、初陣で勝利を収める。また、同大会には偽レイナ・フブキが登場。その正体は未だ不明。


1997年7月19日 神奈川・横浜文化体育館
第2回Jrオールスター戦をGAEAが主催
 2度目の開催となるJrオールスター戦をGAEAが主催。全日本女子、JWP、LLPW、Jd、大日本プロレス、SPWFの7団体から36選手が参加し、AAAWジュニアタッグ、WCWクルーザー級、全日本シングルの3大タイトル戦を挙行。4000人の観衆を集め大成功を収める。


1997年9月20日 神奈川・川崎市体育館
GAEA初のビッグマッチ・川崎大会開催
 GAEA初のビッグマッチを川崎市体育館で開催し、4300人の観衆を動員。長与とアジャのタイトル戦に長与が勝利した他、WCWクルーザー戦(シュガーが田村欣子に勝利)、井上京子の初参戦(里村とシングル)、ZEROとスーパーヒールの暗闇マッチなど数々の話題を集める。


1997年10月10日 東京・後楽園ホール
広田のへなちょこ返上ロードがスタート
 この日より広田の“へなちょこ返上ロード”と題した試練のタッグ連戦がスタート。長与と組み、タッグ王者・里村&加藤、シュガー&永島、ラスカチョ、アジャ、北斗ら早々たるメンバーと対戦した他、10月17日雫石大会では1日3試合に出場し、すべてフォール負けの珍記録を達成。


1997年11月18日 東京・後楽園ホール
尾崎登場、アジャ激怒、ラスカチョ初参戦
 GAEAマットから姿を消していた尾崎魔弓が第4試合(KAORU&山田vsシュガー&永島)にセコンドとして登場し、KAORU&山田の仲間割れを誘発。セミ(アジャ&植松vs里村&加藤)では試合後に敵に頭を下げた里村らにアジャが大激怒。また、メインではラスカチョが長与&広田相手にGAEA初参戦。


1997年12月13日 長崎・大村市民体育館
長与、故郷に凱旋
 長与が出身地である長崎県大村市に凱旋。親族・関係者が来場する中、幼少期にこの地で学んでいた琉球空手の胴衣で登場し、自ら勝利を収める。


1997年12月27日 東京・後楽園ホール
ハイスパート600トーナメント開催
年度最終戦で、プロレス界初の試みとなる第1回ハイスパート“600”トーナメントを開催。この形式は、10分1本勝負で行われ、時間切れ引き分けとなった場合、両選手が失格になるという過酷なもの。第1回は10選手が参加し、加藤園子が優勝。